おめでとうございます。
あっという間に新年も5日が過ぎてしまいました。
今年もよろしくお願いいたします。
今年の年末年始は、なんとかよみかけの本を読もうと思っていたのがいくつか読めたので、
レビューを少し。

まずは、昨年なくなったアップルのスティーブ・ジョブズ氏の人生を取材した
「スティーブ・ジョブズ」。2巻構成で、1巻ではアップルの創世記から大ヒット作を送り出す前まで、2巻ではiMac, iPod, iPhoneといった我々の生活を激変させた製品を生み出すところから晩年期までが書かれている。
この本では、これまでさまざまなメディアで紹介されているジョブズの功績のみならず、性格的な問題点や他人との確執なども赤裸々に書かれている。
日頃アップル社製品を使う私には、彼がどのような考えでこういった製品を生み出していったのかとても興味があるところで、特に後半の次々とヒット作を生み出していく際の、コンセプトを製品化していくこだわりの強さは印象に残る。技術的イノベーションが先にありきで、その技術でどんなことが可能になるかではなく、こんな生活やこんな社会を作るというコンセプトが先にありきで、技術的な問題をそれへと適応していくというスタイルは、頭では理解していても、それを実行するのは難しい。彼はそれを他人とのトラブルなども厭わず突き進んでいった。こうした馬車馬のような推進力こそが彼の魅力だったようだ。しかしこうした推進力は、かつて時代の寵児ともてはやされた某ライブドアの社長だった人ももっていたが、我が国は、彼の推進力・突破力をあるときから恐れ、牢へと閉じ込めてしまった。ジョブズの推進力と新大陸のフロンティアスピリットという2つがあわさることが、なによりの成功だったのではないだろうか。

つぎは、
「本へのとびら」宮崎駿著 岩波新書
スタジオジブリの宮崎氏が岩波少年文庫のなかから、特に印象の残る少年文学をとりあえげ、簡単書評をしている、これらの作品はいまでも手に入るものがほとんどなので、子どもたちにどんな本をよませようかと考える親御さんは手に取ってみるものいいだろう。しかし、彼が本の終盤でこれからの我が国とその国で生きる子どもを見つめる視線には、少し違和感を覚えざるを得ない。
彼自身がファンタジーを映像化してきたのではないか。しかし、その映像自体がどんどん大きな情報力を持つようになってきたいま、将来はないと断ずるのは、かつて自分が本のイマジネーションの世界を映像というあらたなメディアへと開き、広めてきたことと矛盾する。そのメディアがいまはデータとなり、2Dから3Dへと次元を増やし、さらには嗅覚や触覚までデジタルデータに置き換えられようとしている。人の表現力は底知れぬもので、この流れを止めることは誰にもできない。宮崎氏の作品がポニョ以降惰性でのみ走っているように見えるのはこうした時代の流れへの背を向け続けているからなのではないだろうか。
しかし一方で、宮崎氏の論に同調する部分もある。それは、表現の限界はたしかにあるという点だ。あらゆるメディアは、本というメディアつまり、「自らのイマジネーションを超克するメディア」の創造は、絶対無理であると思う。なぜなら、さまざまなイノベーションを形作るためデフォルトの発想力は本によって培わされるのだ。そうした本を超えるメディアの創造がもし可能となっても本がなくなる日はこないと思える。

そして最後は
「いもうとのにゅういん」作: 筒井 頼子 絵: 林 明子 福音館書店
これは、娘のために買ってあげた絵本。「はじめてのおつかい」の続編としての位置づけのこの本は、姉妹の日常を豊かなことば表現と確かな観察眼に裏打ちされた絵によって構成されている。ある日、姉が友達と帰ってくると、普段遊びなれた人形がない。どうやら妹がまた取っていってしまったようだ。そこで、妹を探すと、母におわれた元気のない妹が・・・。そして妹は入院する。そんな妹への気遣いから姉は・・・。といった内容なのだが、妹を思いやる姉の気持ち、一人残された家での不安と恐怖。
終盤の妹の笑顔と安堵といった感情の推移がとてもダイナミックに描かれている。
また絵がいい。林明子氏の絵は子どもの動きを丹念に見つめ、デフォルメせずに忠実にこどもを描いている。この忠実さというか等身大さがとても心地よい。絵本というととかくかわいいと思わせるように大胆なデフォルメをしてもよいとなっているが、それは不用意に子どもたちのイマジネーションをねじまげてしまう。背伸びせず、へりくだりもしない等身大の、となりの家にもいそうな子どもの生態をじっくりと見つめたこの本の絵と文はぜひ読み聞かせしたい作品だ。