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自然と戯れたり、ボールの動きに一喜一憂したり、人の動きに涙したり・・・。
当ブログでは、私の大好きな運動の豊潤な側面であるスポーツ・遊びにまつわるよもやま話、ちょっとイイ話などを、気ままにアップしていきます。 ブログパーツ
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小川侃さんの本「環境と身の現象学」をいま読んでいる。
哲学に対する自戒とその本質的性格の切れ味鋭い洞察にはさすがと思わされる。 また,哲学が過去の著作(紙のしみと自戒を込めて表現)の焼き増しにすぎないところから,現に積極的にアクセスするという挑戦的な姿勢もダイナミックな読みごたえがある。(かのピヒトもそうした態度で近年著作を重ねている) そして,これまで身体,感情などを現象学的に述べてこられた小川さんが,今回明確に共生,環境あるいはエコロジーという時代の潮流について書いている。(もちろん,前著「風の現象学と雰囲気 晃洋書房」においてその端緒をうかがうことはできたのだが)。そのなかから特に私の問題意識とリンクする部分を簡単に触れてみる。 「(前略)ギリシャ人の経験に即して考えてみると,人間が世界のなかで相互に共生するための条件は,同時に共生のための物質的な原因である。それは,大地,水,火(エネルギー),風(空気)という世界現象にほかならない。このストイケイオンをギリシャ人はなによりも大自然の根本構成要素として考えたのである。」(s.169) 一見あたり前のことを述べている文に思えるのだが,改めて読むととても本質的な指摘である。 その前にストイケイオンという言葉だが,これについて本文中に詳細な説明があるが,「根本的構成要素」と訳して問題ない。 ここで,世界の物質(エレメント)として挙がっている「大地,水,火(エネルギー),風(空気)」だが,これらと運動の関わりを考えてみるとその関連の深さに驚く。 まず,大地である。無論地面をさすわけだが,我々の運動の前提である「立っている」という部分に大きく関わる。この前提があるからこそ,そこから離れられないからこそ,運動はその面白さを維持する。大地のありよう「砂,土,アスファルト,タータン,木・・・・」こうした前提を見逃して運動は成立しないし,語ることはできない。 次に,水である。水泳は特にこれに深く関わる。水はあらゆるものを産み出すもとである。これは水泳運動もその例に違わない。水中は支えるものがない。つまり,自分のなかに支えるポイントを作らないと運動が成立しない。そこで,自分の動作器官,たとえば体幹などから運動を生み出すことになる。水に入ることで,自らで運動を生み出すのである。こうした特性は水の上でもありうるが,水中にはいったとき,如実にその特性は拡大される。 さらに,火。これはエネルギー系だと捉えると,食物を摂取して,それをエネルギーに転換し,それを代謝するというプロセスに関わる。運動は代謝の連続である。そのさい,火は,我々を常に新しく生まれ変わらせるものであり,死にいざなうものである。運動の連続性を支える火の存在もまた,不可欠なものとして挙げられる。 そして,風である。これは大気,空気などの問題とも関わる。生体のガス交換という視点からその重要性は簡単に理解できる。しかしそれだけではなく,雰囲気という人間が運動を行う際に,もっとも重要視している要因。さらには「息」「気合い」の「気」という東洋的な運動を支える概念を支える自然現象として挙げられる。 このように運動を支える根本要因としてもこの4つのエレメントが大きな役割をもっていることがわかる。 次回へのヒント: このことからもう一歩踏み出すと,自然のエレメント自身がそもそも運動性を内包しているという指摘が,醸成されてくる。←こうした指摘はハイデガーらによって,ギリシアのピュシス概念から論証済みである。 おそるべし,運動。
by dionysos30
| 2004-07-13 12:22
| 読書
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